映画『眉山』
随分前ですが、『解夏』も見たので、そして良いお話だったので、
この『眉山』も見ることにしました。
なんというか、病気や死に直面することによって、
それそのもののことではなく、逆に生に対する自身の在り方みたいなものを
説いているような、そんなふうなことを感じた。
死を現実的に意識した時、初めて生に対しての実感を得られるものなのかも。
私はまだそこに到達するまでには及ばない。
だって、今生きていることの方が当たり前過ぎるから。
母子の確執。
すごくよく分かる。
母・龍子が病室で至らない看護師に対してビシッという場面。
傍から見てるとスカッとするし、言ってることにしても
ただ単に私的な怒りの感情だけでモノを言ってるわけじゃないから
ああいうことがきちっと言える人ってすごいなぁと思ってしまうのだけど、
それが自分の母だったとしたら、
娘・咲子のように「いい加減にしてよ」って気持ちになるんだろうな。
たとえ正しいことをしてても言ってても、
それが娘の立場からするとどうしても受け入れられないことってあると思う。
特にね、ラストの方で、咲子が母に向かって
授業参観に一人和服で来る母親のことが嫌いだった
と告白する場面があるのだけど、その気持ち、よく分かる。
この“授業参観”っていう要素がね、ドンピシャリなわけで、
そういうのを外さずビシッと持ってくるあたりがいい。
で、その後に、
でも、今ならそんな母親のことを自慢できる
って告白する部分も。
共感できてしまうんだ。
たったこれだけの言葉なのに、ものすごく芯をついてる感じがして。
母と娘。
同じ女同士だから、同じ女同士だからこそ、
身近に感じられるようで、共感できる部分が多いようで、
でも、逆になぜか反発してしまう。
娘は母の姿を見て
「ああいうふうには絶対なりたくない」
って思うのに、思ってたのに、
大人になってふと気づくと
「私、母にそっくり」
なんて思ったりして(笑)、
でも、そんな時、不思議と嫌じゃなかったりして、
ちょっと誇りにも思ったりして、
そんな自分自身になんか笑えてしまったりして、
なんなんだろうね、こういう感覚って。
母・龍子が娘のことなら何でもお見通しかのように
ちょっと含みを持たせた言い方で、でも決して嫌味とかじゃなく
母としての威厳というか大きな愛で包み込むような様も、
娘・咲子にすごまれて、でもそんなの何ともないかのように
跳ね返してしまうのだけど、
でもその時実はそんな娘には敵わないと、
怖気づいていたのだと、そう吐露する様も
なんかすごくいいなと思った場面だった。
全編に渡ってどのシーンを取っても
それぞれの感情を押し付けがましく印象付けようとするんじゃなく
感覚に訴えてくるというか、
だから見ているこっちもすっと受け入れられる感じが、
どういう言葉で表現すればいいか適当な言葉が見つからないのだけど
とにかくとても良くて、心に響くものがあったな。
そして。
かつて愛した人、きっと何十年経った今もそれは変わらないのだと思うけど、
決して叶うことのない妻子ある人との子供を持って
その人の故郷でその後の人生を歩んでいこうと決意した母のその思いって
これ以上ないくらいの最高の愛の形なのかな、とか思って
決して簡単に真似できることじゃないなって。
もちろん、道徳的に正しいことをしているわけではないから
そのことに対して安易に何かを言うことは出来ないのだけど、
それに、そこに娘の反発芯が芽生えたきっかけは充分あるのだろうし、
でも、なんというか、良いとか悪いとかそんな簡単に片付けてもいけない気がして
すごくすごく難しい。
でも、私の気持ちとしては、それは間違いなく愛で
確かな愛で、純粋な愛なんだってそう思った。
最後に、献体のこと。
母・龍子は医学の発展に理解のある人、
これがね、というかこれにおいても最大の愛の形なのかも
と後々思ったのだった。
かつて愛した人は医者だったから。
それがもうホントに深いなぁというか、もうただただ感服。
そして、その献体者が綴るメッセージに書かれた一文。
これに尽きるのだな、と。
というわけで、深い。
深すぎてまだまだ私にはついていけない部分が多々。
まっさん、すげぇや(笑)
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