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映画『タッチ』

う~ん、う~ん…。
もう、なんと言っていいのやら。。。

『ラフ』も見たので『タッチ』も見たのだけど、
そして、監督が変われば…という期待もあったのだけど、
やはり、あだち充の作品は実写化に向かないのだな、と実感した。

というか、何を思ってこれを実写化しようとしたのか、
そこに疑問があるのよね。
なんかホントさわりの部分だけとって繋げた感じで
『ラフ』の時も同じこと言ったけど
この作品自体がそこまで好きってわけじゃないのに、
この映画を見たことで
「だから、原作はもっといいんだってば!」って訴えたくなってしまった。
またしても(苦笑)

で、思ったのだけど、『タッチ』にしても『ラフ』にしても
あだち充の作品に登場するキャラって
現実には絶対ありえないキャラなんだなって思ったりした。
いい意味で人間っぽさというか人間臭さがないのかも。
だから、実写化するとその部分が強くなって
「なんか違う」って思ってしまう。

達也と南の関係性にしても
今時の高校生なら、とか、このくらいの年頃になれば
って考えると確かに映画のような関係性の方がリアルに近いのだけど
でも、それじゃ達也と南じゃない気がするのね。
1つ取り上げるなら最初の方のバスの中でのシーンで
「ブス」、「ひどい」なんて言い合うところがあるのだけど、
あれは明らかに達也と南じゃない。

原作に忠実であれ、とは言わないけれど
原作が元にあるのであれば“芯”はなくさないで欲しいと私は思う。
映画という媒体において、原作にある部分を取り去ってオリジナルを取り入れる
っていうのももちろんあっていいことだと思うし
それこそが映画化する意味でもあると思うのだけど、
でもそれは、作品なりキャラなりの“芯”を大事にする前提で、
ということでなければそれは違うなって思ってしまう。

一番言いたいのは和也に対する達也と南の気持ちの部分。
そこが焦点を外しすぎてしまったというか真逆を行ってしまったように感じた。
場面で言うと雨のシーンね。
あそこはすごく酷かったし、あそこだけは絶対的に私の中で受け入れられない。
なんか二人の和也に対する気持ちが、同情というか哀れみというか
はたまた和也が死んだことによって自分に降りかかった運命に対する
被害者意識のようなものとか、見ていてそういう感じをすごく受けたんだよね。
それってなんか違くない?
それと関連して、この作品のテーマというか芯にあるものって
決して和也の死を“乗り越えること(言葉通りの意味で)”じゃないと思うのだけど。。。
“乗り越える”というか“受け入れる”、方向性はそっちだと思うんだけど
なぜか「和也はもう死んだんだ」、「それを乗り越えなきゃいけないんだ」的な
いわば強迫観念のようなものを背負ってしまってるように感じてしまう。

その他についても言いたいことはいっぱい(苦笑)

まずは、和也の「いってきます」と玄関を出て行くシーン。
なんでこれをやらないの?
ここがあるから後々
「これが家族との最後のシーンだったのか…」って泣けるのに。
事故のシーンをやるくらいならそこをやってよ。。。

そして、高架下で南が泣くシーン。
ここは2点(笑)
原作通りあおりで撮るなら、泣き声も消して欲しかった。
リアルに泣き声を入れてしまったせいで見てる側的にはすごく冷めちゃった。。。
で、もう1つはなんでそこに達也がいるの?
達也じゃなくても他に誰かがいたら、ここでわざわざ泣く意味なくない?

で、それに関連して、なぜ達也の泣きのシーンはないの?
最初の方で和也がクラシック聞いてるシーンがあって
それがフリになってると思いきや
まったくもってそれが関わってこなかったことには愕然としてしまった。

南が作ったお守りもね。
それもフリになってると思いきや全然関係ないし。

あと、和也が死んだ後の母親の心情的な部分もいらなかった。
確かに現実的にはああいう感じすごくよく分かるし、そうだろうなって思うけど、
この作品においてはいらないと思う。
そう直接的に描かなくたって親の心情は伝えられると思うんだよね。
愛情にもいろいろ表現の仕方があるのだから。

それから、オリジナルキャラを出した意味もよく分かんないなぁ。
そこが後々深く絡んでくると思ったらそうでもなく終わっちゃって
だったらいらなくない?って思ったし。
オリジナルキャラを出したらなら出した意味をきちんと出して欲しかった。

そして、最後!(ということにします)
映画の時間的に1年分を削って、
2年で須見工と決着つけて甲子園行くのは全然いいと思うのだけど、
(何よりそのおかげで黒木先輩が報われてよかったね、と思った:笑)
その最後の要となる新田との対決シーン。
ここに疑問と不満が残る。
なんで9回の裏じゃなく表が須見工の攻めなの?
表が須見工の攻めじゃ、もしここで新田に打たれたとしても
まだ裏に明青の攻撃のチャンスが残ってたら、
あの場面で新田を敬遠せず勝負した意味合いとか
何よりそこにチームメイト全員が理解を示した意味合いが
違ってくる気がしちゃうんだけど。。。
須見工が裏の攻撃で、新田がサヨナラホームランを打ってしまったら
そこで明青の負けが決まるっていう最大のピンチだからこそ
活きてくる流れであり設定であると思うのだけど。。。
なんで?
ここを変えた意図が私にはさっぱり分からない。
そして、新田、全部空降っちゃうし。。。
ホームランになるかならないかのファールを打ち続けた後に
最後空振りで終わるからいいんだと思うのだけど。
う~ん。

あ、ごめん、あともう1つ言わせて(苦笑)
最後の最後のあのセリフ、
確かに『タッチ』という作品の中においては外せないセリフなのかもしれないけど
あんなとってつけたようにするくらいならない方がマシ。
そここそ潔く捨てるべきだったんじゃないかなぁ。

というわけで、不満ぶちまけまくりでお送りしました(苦笑)
こういう時ばかり意気込んで書いちゃうからや~ね、私って。
どうもやっぱり私は原作贔屓っ子みたいです。
だから反論ばっかりになっちゃって、ごめんなさい。。。

※敬称略しています。ご了承下さい。

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